メロウなvéloで行こう

おもに小径折りたたみ自転車で東北各地、ときに日本各地や海外を走る話

2018 チェコ・ドイツ・ポーランド ブロンプトンふたり旅 CZ/DE/PL Day1

Day1

プラハで大いに憤慨す

 

プラハまで

 

一昨年成田に就航したばかりのポーランド航空で行く。

枕やCAのスカーフなど随所にポーランドの民俗風デザインがあしらわれており、その辺が大好物な家人は早くもテンションが上がっている。

 

ワルシャワプラハ行きに乗り換え.

フレデリック・ショパン空港は入国/トランジットの窓口が少なく、時を前後して到着したソウルからの便の客も加わって長蛇の列を成す。

LOTのウェブサイトで予約すると乗り継ぎ一時間以内のタイトな旅程も提示されるがそんなの絶対不可能だ。2時間以上は見ておいた方がよい。

乗り換え手続きが済んでやれやれと思ったら、「プラハ便遅れます」の表示。やれやれ。

早く宿に着いて寝たいところだが、しばしラウンジに籠って飲み食いしながら休憩。

ポーランドのビール、Zywiecがある。7年ぶりの再ジヴィエツで体内に中欧成分を投入。

 

 

左)遅れて1910発だったが機内から見たら19時過ぎてもあたふた荷物積んでるとこだった。「忘れるなよ投げたりすんなよおれらの自転車」と祈りつつ見ていた

右)ラウンジにてジヴィエツ摂取中

 

・またかよプラハ

プラハヴァーツラフ・ハヴェル空港(ちょっと前まではルズニェ空港という名だったが、民主化の立役者だった元大統領にちなんで改名した)に着いて荷物を受け取り、到着ロビーを出たのはもう21時近くだった。

 

予約していたのはホリデイインプラハエアポート。

以前のチェコ旅ではプラハ中央駅近くの宿を利用していたが、着いてから荷物預けて自転車旅に出て、帰るときに戻って来て預けた荷物ともどもまとめて帰る、という流れを考えた場合、市街地でなく空港至近にベースキャンプを設けた方がラクなんじゃないかと考えたからである。

到着ロビーにある専用電話で「着いたよー」と頼むと迎えのクルマが来てくれるという手筈である。ああくたびれた。もう少しでシャワー浴びてオフトゥンで寝られる。

 

しかし果たせるかな、迎えに来たスタッフの兄ちゃんから告げられたのは

・予約した部屋は「技術的な問題で」使用できなくなった

・その代わりちょっと離れたところのホテルに「もっといい部屋」を用意したのでそこまで送る

それを聞いた途端「またかよ」と思った。

プラハで予約した宿に泊まれずよそに回されるのはこれで9年間で3度目である。

技術的な問題とか120%ウソ。プラハのホテルは平気でオーバーブッキングする、すなわち予約が入っててもより儲かる団体とかがあとから来れば半端な客はよそに回すのだ(「Praha hotel overbooking」で検索してみたまえ。プラハ中のあらゆるホテルで同じ目にあった旅行者の呪詛の声がずらりと出てくる)。

 

もう疲れていたので文句言う気力もなく、言ったところで部屋が部屋が空くわけでも無いので、とりあえずその「もっといい部屋」まで送ってもらおうじゃないか。

空港から10㎞弱、旧市街との中間ぐらいにあるHotel Avionという宿に着く。

送ってきてくれた兄ちゃんがレセプションのお姉ちゃんに話を通すと、なんかわれわれが来ることが伝わってなかった雰囲気。ああだこうだ深く静かに紛糾している。もうヤダ俺らなんも知らんもんねとその間ロビーのソファに身を投げ出してマグロ化するわたしと妻である。

30分近くもああだこうだした挙句ようやくわれわれの部屋が確保された。

 

翌朝(もう日付は変わっていたけど)ここをチェックアウトしたらホリデイインのクルマに迎えに来てもらい、あっちに荷物を預けて出発するという段取りを兄ちゃんと約束し、われわれの長い苦難の道程はひとまず区切りがついたのである。

 

教訓:プラハの宿、オーバーブッキングくらって知らないとこに行かされるリスクが3割ぐらいある。