メロウなvéloで行こう

おもに小径折りたたみ自転車で東北各地、ときに日本各地や海外を走る話

2013 エストニア & ラトヴィア EST & LV Day4

 
 

Day3  Tartu - Otepää  タルトゥ-オテパー 54.5km

 

 


 

 

 

 

 窓際の席で朝食。

 

 流れていたラジオでBlackの「ワンダフル・ライフ」(1987年の一発屋)がかかってしばしサウダーヂ。

 

 

 

■ タルトゥ旧市街めぐり

 

 

ハンサムな建築たち (クリックで拡大)

 

 

 

 

 

例年のID Jazzフェスはじめエストニアのジャズメンのライヴが日夜繰り広げられるTartu Jazz Club。残念ながら夏休みらしかった。

 

 

 

 よそ様の装備は気になるのでなにげにチェック。わたしと同じ白のオルトリーブでキャンプ装備かふむふむ。

 

 

 

 

 くしくも今日8月20日エストニアの独立回復記念日。公園では記念式典が行われ合唱団がおごそかに国歌その他を斉唱していたり。

 

 ちなみにのちのチェチェン初代大統領になるドゥダエフ将軍はソ連崩壊直前のタルトゥ駐留ソ連軍部隊の司令官。チェチェン人と同じくソ連に支配されていたエストニア人のナショナリズムに大いなシンパシーを抱き、エストニア語も習得して地元タルトゥに溶け込んでいたという。

 1990年、独立の機運高まるタリンに部隊が派遣される。クレムリンは独立派を武力鎮圧するよう命令するがドゥダエフはこれに抗命、独断で部隊を撤退させて自らも職を辞した。以来ドゥダエフはエストニアの恩人として称えられている。ドゥダエフさん男前すぎ。

このあと故国チェチェンに戻ったドゥダエフはつぎに自国の独立を指揮することになる。

 

■ 小雨のなか走行開始

 今回旅するルートの大半は、タルトゥにはじまりラトヴィアはリガの手前のシグルダまでを結ぶルート(あわせて各地の周回コースも含めて)総延長1296㎞、Tour de LatEst として整備されたサイクリングコースを辿る。

あらかじめルートマップをDLして持って行ったのだが、ツーリストオフィスに行った妻氏がなにやら立派なガイドブックをもらってきた。買ったのかと思ったら美人のスタッフが無料でくれたという(このあと他の街の案内所では値段ついて売ってるのも見た)。

区間ごとの詳細地図に加えてエス/英語併記の観光案内も入っている非常に有用な本なので自転車旅ならずとももらっておくとよい。(内容は全頁ここにPdfファイルで置いてあるのでDL可)

 

 いよいよ今日の泊地オテパーへ走り出す。きれいな木造建築が連なる住宅地を抜けて郊外へ

 

 

 

 

 

郊外に出ると雨は降ったり止んだり(もっぱら降る)。カメラは止んでる時にしか出せないのでこの日の写真はすくない。

 

 


今日のルートは基本的に野原

 

 そして基本的にダート。

 

 サイクリングルートとして整備されてると言っても案内標識が立っているぐらいで路面状態とかあんまり考慮してない。

 

 1999年に旅したときも舗装されているのは日本で言う国道相当の道のみで、県道以下のレベルはすべてダートだった。それからずいぶん経ったので少しは舗装率も上がっているだろうと思って来てみれば全然変わってないのだった。

 

 途中マナーハウスのようなところで雨宿りしたほかは野原、野原、森、野原、森、野原野原。

 

 しばしば雨宿りしたため予定よりかなり遅れて19時ようやくオテパーの宿に着く。

 

 

 

■ きょうの宿

 

 ReeDeVilla ツイン€60 (朝食なし)

 

 全4室の小さな宿。部屋はサウナとバルコニー付き。食事の設備はないが部屋に台所(食器ナベカマから調味料からぜんぶ揃ってる)あり。

 

 雨と走行でくたびれた心身にサウナが効く!疲労回復。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベランダもある

 

 

 

■ きょうのごはん

 周囲に食べるところもないので近くのスーパーで惣菜を買ってお部屋ごはん。いろいろな大きさの容器から選んで「これに」と頼むとグラム数とか数詞とかわかんなくても好きな惣菜が買えるシステムはよい。ニシンとタマネギの酢漬け、ビートの漬物、あとはローストチキンとかでがっつり(疲れと空腹で写真も撮らずまふまふと食う)。

 

 

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