メロウなvéloで行こう

おもに小径折りたたみ自転車で東北各地、ときに日本各地や海外を走る話

2017 近江八幡から八日市へブロンプトンで走った話

 2017.11 中部近畿ブロンプトン旅 Day5

近江八幡ー五家荘ー八日市 Oomi-Hachiman - Gokaso - Yokaichi

昨日まで三重県京都府に潜伏していた旅人であったが、今日はコンフォートイン近江八幡で朝を迎えた。

ここに2泊しながら、滋賀岐阜両県の古い街並みと、それらを繋ぐ旧街道の探索サイクリングを実行する算段である。

 
 
近江八幡 Oomi-Hachiman

豊臣秀次ゆかりの城下町近江八幡。古い街並みの残る新町界隈と、米国人W.M. ヴォーリズの手掛けた洋風建築群が見どころとされる。
まあしかしこれまでの習性でつい古い街並み方面に興味が偏って、後者についての予習が疎かなまま訪れたため、いささか不充分な結果となった。

市街に点在するいわゆるヴォーリズ建築には、旧八幡郵便局をはじめ興味深いものがあまたあり、割愛したことが悔やまれる。

これはヴォーリズものじゃなくて旧八幡小学校

 

これはヴォーリズ設計の木造3階建て。
 

のちにヴォーリズさんについて調べてみたところ、建築家としてのみではなく、他にもかの近江兄弟社を設立してメンソレータムを日本で売り捌いて普及させたり、終戦マッカーサー近衛文麿の仲介人として奔走したり、ハモンドオルガンを日本に初めて紹介したりと、もう八面六臂の人生というか大活躍外人選手なのであった。

 

ヴォーリズ建築についてろくに知らずに行ったため画像も乏しいのが悔やまれるが、その分もっぱら商重要伝統的建造物保存地域たる新町通界隈に注力した次第である。

 

 

 

 

観光パンフに必ずある写真の地点
 

午前も時間がたつにつれ、観光バスで送り込まれた団体客がわらわらと蔓延り始めてこの界隈もにぎやかになってきた。よってこの辺で近江八幡の町ポタは切り上げ、きょうのサイクリングの行程を開始する。

 

まずは市街を抜け、やがて琵琶湖にそそぐ白鳥川沿いに整備された自転車道をのんびりたどる。

 

 

やがて道は琵琶湖に至る。
湖畔に沿って走る県道はいわゆるビワイチのルートの一部だが、クルマの流れが多く落ちつかない。べつに湖水を見ながら走りたいわけでもないので、並行する静かな農道を辿ることにする。
 
やがて琵琶湖と細い水路で通じた小さな内湖、西の湖に至る。
この付近にはびわ湖よし笛ロードと称するサイクリングルートが整備されており、心地よく走ることができる。

 

手漕ぎの観光船で水路をのんびりと巡るというオプションもある。

 

 

よし笛ロードを辿っていくと安土の町に至る。いわずと知れた織田信長が城を築いた土地だ。

信長は本能寺の変で駆逐されたのち、城は豊臣秀次城を引き継がれるが、秀次は近江八幡のほうが何かと便利で住みやすいと考えたようで、そちらに新しい居城を建てて引っ越してしまう。以後安土は半ば忘れられた地味な存在のまま現在に至る。

 

よし笛ロードの終点が常楽寺湊。
琵琶湖と内陸を結んで張り巡らされた水路による舟運の港として栄えたが、現在は当時をしのぶ遺構すらなく公園になっているのみである。付近にはわずかだが古い街並みも残っていた。
 
安土を後に南に進むと旧中山道の道筋に行き当たる。
集落の中に延びる狭い道が旧街道の名残を感じさせる。ここちよい道をたどって、次の訪問地である五家荘を目指す。

 

 
 

・五家荘 Gokaso

五家荘は今でこそ静かな田舎町だが、かつては近江八幡と並ぶ近江商人の本拠地であった。
中山道上にはあるが宿場町ではなく(最寄りの宿場は数キロ北東の愛知川)、かといって商人の町にしては商家建築も殆どない。塀に囲まれ蔵を有する商人の屋敷が立ち並ぶさまは、かつてのビジネスエグゼクティブの住まう高級住宅街といったところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川並、金堂、山本の三つの集落に古い街並みが残る。

もっともフォトジェニックな家並みは金堂地区である。観光客の姿もなく静かな風情を味わえた。

 

小腹が空いたので国道沿いのラーメン屋でおやつ。大阪のチェーン店らしい。

 

五家荘からは南に進路を変え、山裾の静かな道を辿って今日の終着点八日市に向かう。

 

その名の通り古くから市場町として栄えた八日市であるが、今ではこの街に買い物に来るひともなく、みんな近在のイオンに行くのである。ねむたげな商店街のはざまに古い商家が残っている。

 

「いせ道」と「京みち」の交差点
 
ここで今日の行程はおしまい。
近江八幡まで輪行で戻るため、市街の西のはずれにある近江鉄道新八日町駅に向かう。

辿り着いた新八日町の駅舎は、一日の最後のエクストラボーナスと呼びたいインパクトであった。

 

 

大正11年築。さびれてはいるが駅員が配置されている。

 

 

やってきた近江八幡行き電車は西武のお古だった。

大手私鉄を引退した電車はこのように地方の私鉄に再就職し、短い路線でスローライフを送るのである。

 

明日は長浜に寄ってから岐阜に移動...。