メロウなvéloで行こう

おもに小径折りたたみ自転車で東北各地、ときに日本各地や海外を走る話

2009 チェコ ボヘミアの旅 Day6 本

 

チェスキークルムロフČeský Krumlov (rest day)

 

宿の居心地はいいし、もう一泊してチェスキークロムロフでのんびり過ごすことにする。
妻氏(当時はまだ結婚していなかったが)は何年か前に友達とチェコを旅行しこの町を訪れており、この町の素晴らしさを熱く語っていたこともある。わたしもせっかく有名な観光地に来たのだからこの際ゆっくり見ておきたい。
 
今日は日曜日でもあり、街は人で溢れている。どんよりとしたら曇り空の下、町をそぞろ歩く。

 

 

 

広場は何やらイベントで賑わっていた。

 

 

 

 

街の外の丘に登ってお城を遠望する。教会は結婚式でにぎわっていた。

 

 

街の観光の目玉はお城だ。

チェコのお城としてはプラハ城に次ぐ観光客を集めるという。この日も団体客の波がどっぱんどっぱん寄せては返していた。

代々の殿様は芝居好きで城の中にオペラも上演できる劇場を作った。金に明かして仕込んだ大掛かりな自慢の舞台装置が現在も残されている。

中には入らなかったから見ていないけれど。

 

 

中には入らないけれど高いところにでも登っておこうかと思ったが、ちょうど管理人のおじさん(右下の人)が帰るところだったので塔には登れず

 

 

ユネスコ世界遺産として人気のこの町だが、中世以来の代々ローゼンベルク、エッゲンベルク、シュヴァルツェンベルクなどのドイツ系の家名の殿様が治める領地であり、住民も多くがドイツ系、町の名もクルマウというドイツ語の名前だった。

しかし第二次大戦後、ナチスドイツへの遺恨からチェコスロバキア政府はこの町の人口の8割以上を占めていたドイツ系住民を強制追放し、街の名もわざわざ「チェスキー(チェコの)」を冠されたチェコ語のものに変えた。

従来の住民コミュニティの大半が根こそぎ失われてしまった町はその後衰退し、城も封建主義の遺構として荒れるにまかされていたという。

それを主にチェコ民主化以降、復元整備したものが現在の世界遺産の景観なのであった。

 

ハプスブルク王国時代19世紀の作家シュティフターの作品はこの町からさらに南方の現在のオーストリア領一帯を舞台にしている。この町もクルマウとして触れられ、現在チェコ領の他の町もかつてのドイツ語の名前で出てくる。

このオンラインマップではその当時の地図を実際に見ることができる。

来る途中修道院のあったズラタコルナはかつてのゴルデンクローネの直訳だし、東隣の町ヴェレシンはWelleschin→Velesinで綴り変えただけ、プジードリーはプリータルだった。

en.mapy.cz

 

そんな歴史に思いを馳せながら、観光客の群れを離れて裏町をそぞろ歩く。

 

謎のオブジェのある工房(営業車はトラバント

 

夜もそぞろ歩く

 

C. クルムロフの地ビール Eggenberg飲み比べ大会。

エッゲンベルクは先にも触れたがかつてこの町を治めたドイツ系の殿様の名である。

他の殿様、シュヴァルツェンベルクは前の日に見たフルボカ城の城主だし、ローゼンベルクはこの後農業用水の功労者として登場する。

 

次の日 ↓

mellowyallow.hatenablog.com