メロウなvéloで行こう

おもに小径折りたたみ自転車で東北各地、ときに日本各地や海外を走る話

2005 BD-1で走るベトナム・メコンデルタの旅 Day5

 

Day3  ベンチェー-チャーヴィン Ben Tre - Tra Vinh

 

Find more Bike Ride in Ben Tre, Viet Nam

前日の話 ↓

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今回の旅は基本的には、ロンリープラネットに出ているメコンデルタのサイクリングルートを踏襲している。それでも随所で別なルートをたどることにやぶさかでない。

これからカントーに至るまで、ロンプラのコースから離れてその南側を行くルートをたどる。従ってしばらくロンプラを見ても道路の情報が出ていない区間が続くのである。

今日は目指すののはチャーヴィンTra Vinhの町。途中大きな川を2つ(ハムルオン川とコーチェン川)渡らなければならない。そこの渡し船の情報がないので出たとこ勝負で行ってみるのである(2023年現在両方とも橋がかかり、何の苦労もなく自走で渡河可能となっている)。

ベンチェーから出発

道路の両側は濃い緑が続き、東南アジアの旅のヨロコビがふたたび戻ってきた気がする。

道路標識がほとんどないので不安だが街を出てほどなくフェリー乗り場にたどり着いた。第一関門は難なくクリア(ベンファー Bến phà=フェリーという単語を覚えた.。

渡った先のモーカイの町を越えると交通量も減り静かな道になるが、舗装もグレートダウンする。なんだかなと思っているうちにダートにさらなるグレードダウン。しかも砂っぽくて自転車にはイヤな道だ。

 


方角だけを頼りに走っていたらダートの道はコーチェン川の岸に着いた。

渡し船は多分集落の近くから出ているだろうと推測して、すれ違う学校帰りの制服の小学生が来る方向に行ってみる。集落に着いたが案の定船着き場なんてわからない。

そのへんのおっさんにすいませんベンファーどこですかベンファーと訊いて見ると、ベトナム語で何やら説明してくれるがもちろん全くわからない。

頭の上から?マークを出しまくっているとおっさんはしょうがねえなあという面持ちで俺についてこいという。おっさんの後からついていくと川べりの漁師とおぼしき近所の別のおっさんの家に入っていき何やら交渉している。

まもなく漁師のおっさんが出てきて、3万ドンなら俺の船で対岸に渡してやるという。さっきハムルオン川を渡ったフェリーが1000ドンだったから30倍は貸切としてもずいぶん強気なお値段だ。しかし文句を言える状況ではない。おっさんその1の話し方から推察するに、この近くに公共のフェリー乗り場はないようだった。

浅瀬の泥の中を自転車を担いでズブズブと歩き、おっさんその2の船に乗り込む。第二の関門はこうしてカネの力でねじ伏せたのであった。

と言っても3万というと数字こそでかくてビビるが、日本円にしたら百数十円であるからまあ細かいことはいいかという気になるのである。

 

向こう側に見える陸地が対岸。川といってもめちゃくちゃ広いのである。

 

無事対岸に渡り終えた。今日の第二関門はクリアしたわけだ。

川のこちら側はチャーヴィン省。これでもう安心かと思えば、川を渡った地点はチャーヴィンまでのルートからはかなり外れていたようで、その先の道がまたよくわからない。

チャーヴィンに至るまでの途中の町の名前を頼りに、通りがかりの人に「○○はこっちですか?」と尋ねながら進んでいく。道も砂利から砂へと、幅も狭くなって再びどんどん心細い感じになっていく。

 

 

岩のように見えるのは牛

 

やがて細道はジャングルの中の小さな川に突き当たって行き止まりになってしまった。まだ川があったとは。

途方にくれたが、近くの家でハンモックで昼寝していた兄ちゃんに訊くとあっちに渡し船があるよという。やれありがたや。

行ってみれば向こう岸から板にエンジンをつけただけみたいな小さな船が来た。二輪と歩行者専用だろう。

 

 

 

渡った先もワイルドな感じ

 

さらにワイルドな道をたどって、もう一つ小さな渡し船(画像なし)に乗るとようやくふたたび道らしい道に出て、標識にチャーヴィンの字を見てホッとする。

 

ベトナムで初めて見るクメール寺院。

メコンデルタ一帯は18世紀までクメール王国の領土だった。ここチャーヴィン省には今も少数民族としてクメール(カンボジア)人が一定数住んでおり、クメール仏教を信仰している。

この後チャーヴィン周辺で同様の様式のお寺をいくつも目にすることになる。

 

 

そんなこんなでようやくたどり着いたチャーヴィンは、これまでの埃っぽくゴチャゴチャした街と異なり、街路樹が生い茂り影を落とす、緑濃い街だった。

90年代に出た古いロンリープラネットを見ると、「この街に西洋人はほとんど見ない。日本人ツーリストが数年前にこの町を見い出した」とあるがどんないきさつだろうか。何にしろ日本人にゆかりがあるならいいことだ。

 

チャーヴィンに到着

投宿したホテルはこれまたたいへん新しくきれいだった。

今日のワイルドの道のりが夢のように思える。

 

 

1泊22USD 

 

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