ドレスデン~バウツェン~ゲルリッツ(輪行)
Dresden - Bauzen - Görlitz (train)
鉄道でポーランド国境の町ゲルリッツまで。途中スラヴ系少数民族とカラシの町バウツェンにも寄り道。
エルベ川沿いの自転車道を走ってわれわれはドレスデンに至ったが、川沿いの自転車道はこの先マイセン、マグデブルク、ハンブルクなどを経て(これら以外はだいたい知られざる小さな町を通って)北海に面する港町クックスハーフェンまで続く(ルート全体100㌻超の地図ガイドはここ。)。このままそれを辿るのもラクで楽しい旅であろうが、限られた日程の中でできだけ多くの国を巡ろうといういつもながらの欲張りな魂胆により、ここからはポーランド国境に向けて西に向かうのであった。
エルベ川沿いの自転車道を走ってわれわれはドレスデンに至ったが、川沿いの自転車道はこの先マイセン、マグデブルク、ハンブルクなどを経て(これら以外はだいたい知られざる小さな町を通って)北海に面する港町クックスハーフェンまで続く(ルート全体100㌻超の地図ガイドはここ。)。このままそれを辿るのもラクで楽しい旅であろうが、限られた日程の中でできだけ多くの国を巡ろうといういつもながらの欲張りな魂胆により、ここからはポーランド国境に向けて西に向かうのであった。
ドレスデンからゲルリッツまでの約100㎞はこれまでのような楽ちんな自転車道があるわけでなし(調べてみると一応デザインされた自転車ルートはあるが、車道を走ることになる上に起伏も多そうだし)、日程も限られているしで思い切って割愛し、ここはサクッと鉄道でワープすることにする。
ドレスデンの宿に名残を惜しむ
・バウツェンへ
自転車持ち込みは別料金だがブロンプトンなら折りたためばばタダである。
車内は座席があらかた埋まる程度に混んでいるが、ふと見渡すとクロスシートの向かいのふたりも斜め向かいもそのとなりの二人も本を読んでいて、スマホをいじっている人が見渡すかぎりひとりもいない。平日の昼間であるから女性が多いのだが、分厚いペーパーパックをひもとく若いおねえさん、ドイツの「婦人画報」みたいな雑誌に見入るおばはん。平素わが国で全員スマホ注視の車内光景を見慣れたわれわれには、みんな活字を読んでる電車という風景は軽い衝撃であった。たまたまかも知れないけれど。
バウツェン駅に着き、少し離れた旧市街に向かう。
この街に最初に住み着いたのはスラヴ系のソルブ人。以後ドイツ化されながらもバウツェン(ソルブ名ブディシン)はソルブ文化と言語を継承する中心地として存続している。
目にする街路表示も二か国語。
この街の名物はカラシとイースターエッグらしい。
カラシ専門店へ。ソーセージとかにつけて食すのが定番。チューブ入りのいちばん小さいものでも歯磨きぐらいあるのだがせっかくだからと購入する家人。
きれいに彩色されたイースターエッグも買いたそうだったが、自転車の旅では破損は免れなかろうと断念。
・ゲルリッツへ
バウツェンの街をあとにして今日から滞在するゲルリッツに向かうべくふたたび駅へ。
ゲルリッツまではおよそ40㎞、
ゲルリッツに到着。駅舎はユーゲントシュティル様式でたいへんにエレガントな造り(1915~17築)。
ゲルリッツ旧市街は独ソ戦の破壊を免れて古き良き時代の佇まいを残している。旧東独時代には荒廃した建物も近年リノヴェイトされて美しい街並みが再現されて訪れる者を魅了する。宿に向かうまでの道を両側の建物をキョロキョロ見ながら進んだ(写真は翌日分で)。
わたしも見た映画「グランド・ブダペスト・ホテル」の撮影に使われた、廃業したデパート(1913築)。
我々が訪れたときは閉鎖されていたが、その後ふたたびデパートとして再開業を目指して本格的に修復改装中のもよう(2020現在)。
旧市街の裏通りにある宿 Pension Wielshにチェックイン。今日から2泊する。
窓から臨む向かいの木立の緑がここちよい。
この家もかつては放置され荒れ果てていたというが、最近修復してこんな居心地の良い宿に仕立てたもの。
・ゲルリッツの歴史
宿からほど近いナイセ川に架かる橋を越えると、そこはもうポーランド領ズゴルジェレツ。
戦後、ソ連が旧ポーランド領の東部をごっそり併合する代わりにドイツ領西部をポーランドに与え、ナイセ川が国境とされると、川の東側に住んでいたドイツ人はすべて難民となってドイツ側に移住。代わりに旧東部ポーランド領の住民が移住させられて今に至る。
向こう側はポーランド
大戦末期にドイツ軍はこの付近のナイセ川に架かる橋をすべて破壊した。以後かつてのゲルリッツ市街の両岸は行き来できないままだったが、現在の橋が2004年に再建された。その後シェンゲン協定ができて今や自由に国境を往来できるようになったのである。
夕食は橋を渡ってポーランドに食べに行くことにした。ドイツ側より安く上がるという目論見である(実際安かった)。
ポーランドのZywiecで乾杯
とりあえずのシュニッツェル、野菜の挽肉巻き(これはポーランドぽい)、スープそれぞれ
しかし実際、物価水準の異なる国が接する境目に住んだらどうなるだろう。貧乏性のわたしだったらドイツで稼いだお金をなるだけポーランドで使って安く上げようとするだろう。国境近くのドイツ人がみんな同じ考えだったら、ドイツ側の商店とか料理屋とか儲けはどうなんだろうかといらぬ心配をしてしまうのである。
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